Archive for category 報告
やさしいね!
久々の写真です。20年を過ぎた柴犬の楽ちゃんと猫のミーちゃん(1歳)の2ショット。楽ちゃんはもう耳も聞こえず、目も見えず、足もふらふら状態です。そんな楽ちゃんが寝始めると、必ずそばに寄り添い、体をなめてあげたり、じっと見つめたりして、けなげなにいたわり続けるのが、猫のミーちゃん!去年の3月11日の震災の日に突然私の目の前に現れたミーちゃんは右手を何かに噛まれて骨が見え、ひどい状態でした。生まれながらに苦しみを背負っていたからなのか、まだまだ子猫なのに、ミーちゃんは本当に優しいのです。見ているだけでこちらが自然に微笑んでしまいまます。相手を思いやる気持ち。慈しみの原点ここにあり。あっぱれあっぱれ!
さて、大変遅くなりましたが、気仙沼から無事帰って参りました。植樹祭は予定通り3月31日と4月1日に行うこととなりました。また縁あってお地蔵様を建立させていただくことになりました。詳しいことは次回のブログに入れさせていただきます。もう少しお待ちください。
大雪のニュースが絶えません。皆様は大丈夫ですか?どうかお怪我のないようお気をつけ下さい。一日も早く暖かき春が訪れますように!
遅ればせながら・・・・・・
明けましておめでとうございます!
皆様お元気ですか?新年のご挨拶が大変遅くなりもうしわけありません。
引っ越しはなんと12月31日23時35分まで続きました。しかもそれは単に荷物の移動ができたというだけで、新アバンは荷物の山!滑り込みセーフで年越しそばを食べ、新しい年を迎えたとたん寝込んでしまいました。引っ越し隊の皆様。ご協力本当にありがとうございました。年内に終わったのはある意味奇跡的なことでした。人の力はやはりすごい!私自身、自分の中にある底力を発見!「なんだ。いつもはサボっていたんだな。できないできない!ではなくやらないだけだったんだ」と納得!きっとまだまだがんばれるということですね。
どうか今年もよろしくお願いいたします。
さて、昨年末に大月商店街の皆様がお餅つきを主催してくださり約150キロののし餅を福島県楢葉町の皆様(現在会津美里町の仮設住宅にいらっしゃいます)にお送りすることができました。「もう今年はお正月のお餅をあきらめていたから本当にうれしい」と喜んでくださいました。広明堂薬局の小俣さんはじめ商店街の皆様に心より感謝です。また都留市のお母様方や都留文大の生徒さんたちともお餅つきをして、気仙沼の皆様にのし餅をお送りしました。
お餅つきを通して「日本人の心意気」を感じ、お餅のおいしさお餅のパワーを見直しました。
本日1月17日。阪神淡路大震災から17年。悲しみを忘れることはできません。私たちにできることは祈ること。そして災害に負けない町を作ること。どんなに大きな震災が起きても大切な命を失うことのない町を作ることが、私たちの役目。
今年も精一杯頑張ります。自分でこの時代を選んで生まれてきたのだから・・・・
メリークリスマス!
あっという間に今年も残すところ後わずかとなりました。お元気でおすごしでしょうか?
ご無沙汰してしまい申し訳ありません。実は10月半ばに引っ越しが決まってから早2ヶ月。未だに終わりません!10年間の思い出とともに増えた物がこれほどたくさんあったとは・・・。ただただ驚くばかり!ひたすら段ボールに詰めて運ぶ毎日です。初めのうちは「この際きれいに整理整頓して・・・・」なんて言っていたのですが、今や何でもいいから箱に詰めて移動移動!いるもいらないも区別なんかしていられない!という感じです。そして引っ越し先は荷物の山。おしゃもじどこ?ごま油は?ジャムがない!もう大騒ぎの連続!ああ、無事に年が越せるのだろうか?
今年も大月の山田さんが、ムササビ家族のためにクルミやドングリをたくさん持ってきてくださいました(写真右)ありがたいです。ここまできれいにするのは大変な作業なのに、本当にありがたい!ムササビ家族は今まで使っていた巣箱から引っ越しをして隣の巣箱(これも私たちがかけた巣箱)で生活するようになりました。とても清潔好きのようです。未だえさ場の森の土地問題は解決せず、とても悲しいです。何とかしなければいけないのに、何もできていない。ムササビ君に申し訳ない。ごめんなさい!でもあきらめないで頑張ります。思い続ければ絶対に願いは叶う。絶対に!
先日神戸に行ってきました。阪神淡路大震災鎮魂の桜の補植のためです。3月に植えた灘駅前のしだれ桜一本と原田中学校に植えたソメイヨシノ一本が枯れてしまったので、もう一度植えました。今度は大きく育ちますように!
そして、あの「クレッシェンド」のCDがやっと完成し、灘スーパーキッズや神戸関係者に届けて参りました。トップページでお聞きいただけるようにいたしますので少々お待ちください。たくさんのかたがのご協力のお陰で、すばらしいCDになりました。東日本大震災復興応援歌として、これからなるべくたくさんの機会を作り唄っていきます。皆様ご協力よろしくお願いいたします。
とりとめもない文章になりました。なんだか引っ越しの荷物と同じです。お許しください。雪も各地で降っているようですね。くれぐれもお体ご自愛くださいませ。
無事帰って参りました!
25日11時に山梨を発ち、中央道~首都高~東北道を走り、7時過ぎに藤沢町に到着。26日にはお餅つきと鎮魂の桜の植樹。27日には気仙沼市大谷の漁村センター(避難所になっていた所)前庭と児童公園跡(津波によって地面に這うように倒されたブランコの土台のみが残っていました)に鎮魂の桜を植え、そして8月に訪ねた避難所(気仙沼小学校)の西村さんが始めたスポーツ店に立ち寄り、お元気なお顔を拝見し、一関インターを4時過ぎに出発。日付が変わる少し前に山梨に到着しました。運転してくれた柴崎さん、金沢の竹ちゃん、太陽みたいな板倉さん、舞台監督の大塚さん、横浜の矢部さんと寺坂さん、寝ずに運転してかけつけてくれたコロンビアのヘンリーとアンディとエステラ。素晴らしき応援団とともに時に笑い時に泣き、東北の旅は終わりました。
千葉とき子さんを先頭に藤沢町のドンとも言える愛情たっぷりのお母様方がいなければ今回のお餅つきは実現しませんでした。1週間前からあずきを仕込み、前日には60キロのもち米を洗い、当日はお雑煮用の20本の大根をきざみ、えごま味、くるみ味、わさび味、ネギ醤油味、あんこ味などのお餅やお漬け物の数々・・・・。手の出しようの無いほどのスピードで一気に作って下さいました。気仙沼・南三陸・陸前高田などから避難していらした皆様の心をどれだけ温かくそして元気にしてくれたかわかりません。ただただ感謝です。
10年前に阪神淡路大震災の鎮魂の桜を植えた縄文ホールの隣にある、駐車場ののり面に被災者の方々と、東日本大震災鎮魂の桜(染井吉野)を植えました。マーチングバンドの子供たちもかけつけてくれて桜を植え、その後は「クレッシェンド」を一緒に唄ってくれました。振り付けまでできていて寒さを忘れるほど元気な声が、大空へ飛んでいきました!『だんだん強くだんだん大きく(クレッシェンド)』植えた桜にそしてお集まり下さった被災者の皆様に届くようみんなで一生懸命唄いました。『初めて泣くことが出来ました。あれ以来必死だったから涙が出なかったけど、やっとやっと泣くことが出来たの』とおばあちゃんがおっしゃいました。それだけでどれだけ苦しかったかがわかります。私達ができることは、薄皮をはぐように少しずつ悲しみを取り除き、喜びの瞬間を増やすこと。そして皆さんの衣食住や第一次産業の復興にむけて惜しみない努力をすることです。どちらも時間のかかることですが、熱い想いを持ち続けることが出来ればちっとも大変なことではないのです。
気仙沼は前回より瓦礫が少なくなったものの、復興にはほど遠い感じでした。小高い丘の上にぽつんと見える屋根。「あれはね。友達の家の二階部分でね。むこ~うのほうから流されて来たんだよ。ここだって以前は家がたくさんあったから海なんか見えなかったんだ」「わたしみたいな65歳以上は死んでもよかったんだ。若者達はみんな年寄りを助けようと必死になってそして死んでいった。助けなくったってよかったんだ。もうわしらは生きていたって何の役にも立たないのに」目にいっぱい涙を浮かべおっしゃいました。・・・言葉がありませんでした。せつなくてせつなくて悲しくて苦しくて・・・。『その人達の分まで生き抜いて欲しい。そして語り継いで欲しい』私は心の中で何度も何度も叫びました。
桜を植えた後、青空の下みんなで昨日ついたお餅を食べました。美味しかった!とてもとても美味しかった。そして最後に長老がおっしゃいました。『浜辺の唄』を唄って欲しいと・・・・。意外でした。私は、また私達ミュージシャンは震災以来海に関する唄を唄うことを控えてきました。思い出させてしまうことはなるべく避けた方がよいと思ったのです。でも違ったのです。私は海に向かって唄いました。皆さんにそして,未だ海に眠るたくさんの魂に届くように・・・・。生きることは難しい。でも生きていれば何でもできる。東北から日本を変える。ここから日本を立て直すしかない。そうおっしゃったのはお餅つきのリーダー千葉とき子さん。ご自身もこの震災で弟さんを亡くされているにもかかわらず、そんなことをおくびにも出さず、傷ついた人たちの為に先頭きって動いている方です。
義援金の使われ方はかなり不透明で、怒りを感じます。8ヶ月の間に35万円と15万円の2回の補助があっただけ(家がすべて流された方は100万円)3回目はまだどうなるか解らないとのこと。(地域差はあると思いますが・・・)それだけでどうやって生活しろというのか!綺麗な仮設住宅の前でインタビューを受ける政治家。『ほらこんなにすごい仮設住宅をたてたんですよ!」まるでプロモーションビデオを作っているかのよう。カメラのスイッチが切れた途端さーっと真顔に戻り、被災者の皆様には一言も声をかけずに帰ってゆく。何なの?!追いかけていって質問したかった。いくら綺麗な仮設住宅を用意されても、お金が足りない。仕事がない。コミュニケーションがとれない。というのが現実で、孤独死、自殺、など切羽詰まった問題が山積みなのです。どこからどう解決してゆけばよいのか,正直言ってわかりません。政治家をあてにせず、私達市民レベルで考えてゆくしかないのです(もちろん頼りになる政治家もいらっしゃいます)。
藤沢町の近く川崎と言う所にある常堅寺の後藤住職がお餅つきにかけつけて下さいました。
後藤住職は石巻の出身で、「石巻の変わり果てた姿を見た時、悲しいと言うより悔しかった」とおっしゃいました。そしてやはり亡くなった方々のお墓になるよう、亡くなった方の数の桜を植えようと決心されたそうです。同じ想いの方がいらっしゃったのです。頑張るしかありません。少しずつ少しずつ一歩一歩そして一本一本・・・
長くなりましたが、最後に皆川さん、及川会長を始めJスタッフの皆様、お母様方。そして遠路はるばる集まって下さった応援団の皆様。本当にありがとうございました。
ウロの代わりに・・・・
9月26日のブログでお伝えしました秋山の屋根裏に住んでいるムササビの為の巣箱を秋山郵便局の佐藤さんがケヤキ(写真)と杉の木の2カ所に掛けて下さいました。ホッと一息です。なんとかどちらかにお引っ越ししてくれるとよいのですが・・・・。
この林の持ち主である原田さんのお話によると、20年前に火事がありウロのあるケヤキが燃えてしまったとのこと。それまでそこで子育てをしていたムササビが棲む所をなくしてしまい、関戸さんのガソリンスタンドの屋根裏に棲み着いてしまったということらしい。関戸さんも電気の線を切られたり、バタバタと大きな音をたてられたりして大変だったそうですが、なんとか我慢してお仕事をされてきたのです。優しい人たちで良かった!
あとは、ムササビ一家が巣箱を見つけ、大移動をしてくれれば万々歳です!というより、一度捕まえたムササビをもう一度元に戻していただくようお願いした私としましては、移動してくれないと困るのです。佐藤さんが色々工夫し、猫に襲われないように高くて、宙に浮いた感じにして下さいましたので、きっと入ってくれるはずです。『本当は高所恐怖症なんだけど・・・・』と言いながらも勇敢に登って下さった佐藤さん。「本当にありがとうございました」
今、ムササビ達の住宅状況はかなり悪化しています。ウロのある大木が本当に少ないのです。前にもお話ししましたように、都留の図書館の裏のムササビはウロがないため、ボイラー室で子育てをして、悲しいかな丸焦げになってしまいました。たとえ寝る場所があっても、餌場がなかったり、餌場まで行く手段(滑空する木)がないというのも現実です。これは人間がともに生きている生き物を無視してしまった結果なのです。ムササビは森の剪定師という天命を持っています。それは森に光を与え、森を豊かにすることにつながります。森が豊かになれば、川も海も豊かになるのですから、知らず知らずのうちに人間は恩恵を受けているのです。秋山のムササビ一家が無事引っ越しをして、関戸さん一家に静かな日々が訪れることを心から祈ります!

