音曼陀羅

生活の中に音がある。間(ま)を表現するために音がある。

水の音

1180959249 ある日の夜、いつも何気なく通っている道の脇にある水路から、なんとも言えず、美しい水音が聞こえてきた。いつか丹沢に行った時、川の上流で聞いたせせらぎの音と全く同じで、しばし聞き惚れてしまった。その音が耳から離れず、次の日の朝、そこへ行き、私は驚いた。田舎道は真っ暗になるので、昨夜は水路の中の様子はわからなかったが、今目の前にあるのは、ゴミだらけの水路。『そんな馬鹿な!』昨夜の出来事が、夢だったのか?それとも今が夢なのか?でも目をつぶれば、確かにそこからは、あの上流の澄んだ水の音が聞こえて来る。その時、私は「汚れた水も澄んだ水と何ら変わりなく、美しい音を奏でている」ということに気づかせてもらった。そして汚れた水には、神様仏様が集まり、人間が出した不浄を一生懸命浄めるべく、唄を唄っているのかもしれない。そんな気がした。

人は皆、目に見えるものだけで判断し、これはきれいな水、これは汚い水と簡単に分けてしまうが、もともとの水自体は何も変わっていないのだ。人間の体の70%も水だ。70%は生まれたままの澄んだ水なのだ。ということは、残りの30%に日々振り回され、楽しかったり、苦しかったり、悲しかったり、迷ったりしているのかもしれない。でも、水が何かにぶつからない限り音を奏でられないのと同じで、人間もこの30%の何かにぶつかることで、その人なりの音を奏でているのだろう。どんなに悩んでも、苦しくても、それはあくまでも30%の中のことであって、あとの70%の澄んだ水は全く変わらないのだと思う。だから努力することで必ずいい答えが生まれるし、悩めば悩んだほど、そこから抜け出した時の喜びも大きいのだ!そしてきっとすぐそばで、仏様神様が答えを見つける為の、唄を唄ってくれているのだろう。感謝。感謝。