25日11時に山梨を発ち、中央道~首都高~東北道を走り、7時過ぎに藤沢町に到着。26日にはお餅つきと鎮魂の桜の植樹。27日には気仙沼市大谷の漁村センター(避難所になっていた所)前庭と児童公園跡(津波によって地面に這うように倒されたブランコの土台のみが残っていました)に鎮魂の桜を植え、そして8月に訪ねた避難所(気仙沼小学校)の西村さんが始めたスポーツ店に立ち寄り、お元気なお顔を拝見し、一関インターを4時過ぎに出発。日付が変わる少し前に山梨に到着しました。運転してくれた柴崎さん、金沢の竹ちゃん、太陽みたいな板倉さん、舞台監督の大塚さん、横浜の矢部さんと寺坂さん、寝ずに運転してかけつけてくれたコロンビアのヘンリーとアンディとエステラ。素晴らしき応援団とともに時に笑い時に泣き、東北の旅は終わりました。
千葉とき子さんを先頭に藤沢町のドンとも言える愛情たっぷりのお母様方がいなければ今回のお餅つきは実現しませんでした。1週間前からあずきを仕込み、前日には60キロのもち米を洗い、当日はお雑煮用の20本の大根をきざみ、えごま味、くるみ味、わさび味、ネギ醤油味、あんこ味などのお餅やお漬け物の数々・・・・。手の出しようの無いほどのスピードで一気に作って下さいました。気仙沼・南三陸・陸前高田などから避難していらした皆様の心をどれだけ温かくそして元気にしてくれたかわかりません。ただただ感謝です。
10年前に阪神淡路大震災の鎮魂の桜を植えた縄文ホールの隣にある、駐車場ののり面に被災者の方々と、東日本大震災鎮魂の桜(染井吉野)を植えました。マーチングバンドの子供たちもかけつけてくれて桜を植え、その後は「クレッシェンド」を一緒に唄ってくれました。振り付けまでできていて寒さを忘れるほど元気な声が、大空へ飛んでいきました!『だんだん強くだんだん大きく(クレッシェンド)』植えた桜にそしてお集まり下さった被災者の皆様に届くようみんなで一生懸命唄いました。『初めて泣くことが出来ました。あれ以来必死だったから涙が出なかったけど、やっとやっと泣くことが出来たの』とおばあちゃんがおっしゃいました。それだけでどれだけ苦しかったかがわかります。私達ができることは、薄皮をはぐように少しずつ悲しみを取り除き、喜びの瞬間を増やすこと。そして皆さんの衣食住や第一次産業の復興にむけて惜しみない努力をすることです。どちらも時間のかかることですが、熱い想いを持ち続けることが出来ればちっとも大変なことではないのです。
気仙沼は前回より瓦礫が少なくなったものの、復興にはほど遠い感じでした。小高い丘の上にぽつんと見える屋根。「あれはね。友達の家の二階部分でね。むこ~うのほうから流されて来たんだよ。ここだって以前は家がたくさんあったから海なんか見えなかったんだ」「わたしみたいな65歳以上は死んでもよかったんだ。若者達はみんな年寄りを助けようと必死になってそして死んでいった。助けなくったってよかったんだ。もうわしらは生きていたって何の役にも立たないのに」目にいっぱい涙を浮かべおっしゃいました。・・・言葉がありませんでした。せつなくてせつなくて悲しくて苦しくて・・・。『その人達の分まで生き抜いて欲しい。そして語り継いで欲しい』私は心の中で何度も何度も叫びました。
桜を植えた後、青空の下みんなで昨日ついたお餅を食べました。美味しかった!とてもとても美味しかった。そして最後に長老がおっしゃいました。『浜辺の唄』を唄って欲しいと・・・・。意外でした。私は、また私達ミュージシャンは震災以来海に関する唄を唄うことを控えてきました。思い出させてしまうことはなるべく避けた方がよいと思ったのです。でも違ったのです。私は海に向かって唄いました。皆さんにそして,未だ海に眠るたくさんの魂に届くように・・・・。生きることは難しい。でも生きていれば何でもできる。東北から日本を変える。ここから日本を立て直すしかない。そうおっしゃったのはお餅つきのリーダー千葉とき子さん。ご自身もこの震災で弟さんを亡くされているにもかかわらず、そんなことをおくびにも出さず、傷ついた人たちの為に先頭きって動いている方です。
義援金の使われ方はかなり不透明で、怒りを感じます。8ヶ月の間に35万円と15万円の2回の補助があっただけ(家がすべて流された方は100万円)3回目はまだどうなるか解らないとのこと。(地域差はあると思いますが・・・)それだけでどうやって生活しろというのか!綺麗な仮設住宅の前でインタビューを受ける政治家。『ほらこんなにすごい仮設住宅をたてたんですよ!」まるでプロモーションビデオを作っているかのよう。カメラのスイッチが切れた途端さーっと真顔に戻り、被災者の皆様には一言も声をかけずに帰ってゆく。何なの?!追いかけていって質問したかった。いくら綺麗な仮設住宅を用意されても、お金が足りない。仕事がない。コミュニケーションがとれない。というのが現実で、孤独死、自殺、など切羽詰まった問題が山積みなのです。どこからどう解決してゆけばよいのか,正直言ってわかりません。政治家をあてにせず、私達市民レベルで考えてゆくしかないのです(もちろん頼りになる政治家もいらっしゃいます)。
藤沢町の近く川崎と言う所にある常堅寺の後藤住職がお餅つきにかけつけて下さいました。
後藤住職は石巻の出身で、「石巻の変わり果てた姿を見た時、悲しいと言うより悔しかった」とおっしゃいました。そしてやはり亡くなった方々のお墓になるよう、亡くなった方の数の桜を植えようと決心されたそうです。同じ想いの方がいらっしゃったのです。頑張るしかありません。少しずつ少しずつ一歩一歩そして一本一本・・・
長くなりましたが、最後に皆川さん、及川会長を始めJスタッフの皆様、お母様方。そして遠路はるばる集まって下さった応援団の皆様。本当にありがとうございました。

